1979年11月21日生まれ
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気づけば2019年現在
目を閉じれば昨日の事のように思い浮かぶ而立収録風景むしろ間が思い出せないこの10年。
可も無く不可も無く流されるような日々は変わらず、それでも人は生きていくのだなと実感。
多分、この先の10年も同じ感覚なのかなと思いながらこれを書いております。
随分と前に長いトンネルの出口を見送りましたが、青ばかり目に焼き付くいい夏空の雲を追って次の駅までエーンヤコラ。
1979年7月18日生まれ
30才
孤独に迎える。
32才頃
商業作品のベスト盤を出す
20代の自分の出力を総括する作業は、自分の20代を認めてやれるようになるための作業だったと思う
34才頃
人生に対する焦りや義務感のようなものが霧消していることに気付く
興味のある課題を掘り起こしていこうと同人音楽制作にまた身を入れ始める
36才頃
同人作品のベスト盤を出す
総括がより進み、穏やかな心を得るのと引き換えに人生に対するモチベーションの低下を感じる
活動15周年トリビュートの本とCDを有志が制作してくださいました(宣伝)
38才頃
入稿直前の無理でついに身体を壊す
医薬品の用法用量は正しく守りましょう。
体力が4分の1程度になり、作業できる時間が減る
39才頃
横になることの多い生活でも精神的にやられないのはVRやVtuberのおかげかもしれない
劇伴もやってみたいと思うようになり制作体制を整え始める
40才
孤独に迎える。
ありがとう、おつかれさま。もう少しがんばれるか。
いま郊外にぽつんとある途中駅にいて、線路はきっと、何もない風光明媚な終端駅へ続いていると期待している。
動力だけが不安材料だ。
1979年x月x日生まれ
2011 「うみねこのなく頃に」の後編に係る自身の楽曲のサントラをリリース。4年間を捧げたうみねこ人生の幕を閉じる
2012 仕事の関係で受験以来の勉強に打ち込むも不発に終わる
2013 勉強に打ち込むも再び不発
2014 三度目の正直。合格。
2015 ジム通いにハマり10kg体重を落とす。
2018 結婚
2019 5kg増量
思うばかりでやり残したものに手がつかない。
一方でやりたいことは相変わらず唯々増える。
幾つになっても遊び足りない。
1980年5月8日生まれ
30歳。30代になってもとくに何も変わらないなあと感じた。
31歳。命と死について考える。
32歳。死んでいく人の手を握り締める。
33歳。名義なんてどうでもいいことをわかる。
34歳。音楽なんてどうでもいいことをわかる。
35歳。会社を立ち上げた。
36歳。自分の代わり役ならいくらでもいるということを感じて、引退する。
37歳。引退してもとくに何も変わらないなあと感じた。
38歳。変わらないことがあることを認める。
39歳。10代の自分に出会って想像したものを作る。
40歳。20代の自分に出会ってちょっと聞きたいことがある。
修身斉家治国平天下と書いて
現在は治国辺りでしょうか。
小さな世界から外へ出てみると
厳しいですがその分面白いです。
いや。面白くない。
でもぶれない歳が映る垂れた影から
安らぎと成長を受け取る芽があるので
未来とか考えず先に続く道の辛さは
楽しく耐えてみましょう。
1979年3月29日生まれ
2009〜2019
地震で家屋の一部が被災したり、一人旅に行くことが増えたり、
偽名で小説を投稿してみたり、ロードバイクにはまってみたりと
細々とした変遷はあるものの、本質的には何の変化もなく、環境も一切
変えることなく、空白の10年を淡々と過ごした。
水深4000mまで沈んできてしまった潜水艦のような状態。ここまで至って
しまうともはや浮上して他の生き方を探す気もないので、酸素が尽きるまで
深海を進み続けると思われる。せめて少しでも長持ちさせるため、自分の
できる範囲で健康と体力の維持に留意したい。
1979年2月10日生まれ
5年近くのモラトリアムを過ごし、結婚を機にゲーム業界に復帰。
サウンド制作1年、ツールサポート4年を経て、再び現場のサウンドディレクターに。
どうにでもなれと思っていた人生が自分だけのものではなくなり
人間らしさを少しずつ取り戻しながら、子供の成長と未来をただただ願う。
空白の5年は決して無駄ではなかったけど、不器用すぎたね。
テクノロジーの進歩は思っていたよりずっと早くて、10年前にも感じていた「未来に対する漠然とした不安」はより鮮明になり、それに抗うために何ができるのか。
19歳から自分の居場所を探し続けて15年。見つけたそこはとても居心地がよかったけれど、次のミッションがはっきり見えたので現場に復帰。
40歳で転職するとは思ってなかったよ?
20年分のノウハウ vs AIによる自動化…みたいな図もあるけどAIさんよ、さっさと僕の細々とした仕事を奪って楽をさせておくれ。
5年後に自分がなにをやってるかわからないけど。まぁ、なんとかなるんじゃないの?
1979年7月11日生まれ
2009
10年前はたくさん辛いことがあったはずなのですが,時間が解決するという言葉通り,今はよく覚えてません。
今は遠い昔のことのように思います。
2010
仕事に打ち込む毎日でしたが,而立を経ても大きな視点の変化というのはなかったように思いますが,実際よく覚えてません。
今は遠い昔のことのように思います。
2011
忙しかったはずなのですが,よく覚えてません。
今は遠い昔のことのように思います。
2012
上の子が生まれた年です。
まだ赤ん坊の子のことはうっすらと覚えています。
今は遠い昔のことのように思います。
2013
この頃になって,すこし視野が広がったり,自分が何者なのかがわかってきたように思いますが,本当はよく覚えてません。
今は遠い昔のことのように思います。
2014
仕事面で情熱を持っていたはずですが,職能面では35歳定年説などと昔から聞いていたので強い焦りもあったとおもいます。
若い優秀な人に「土井さんそんなこともわからないんですか」と言われることがあり
「おじさんだって頑張ればできるってことを証明してやる!」という気持ちにかられた記憶があります。
今は遠い昔のことのように思います。
2015
下の子が生まれた年です。
いよいよだめなおじさんになってしまうと思い勉強をはじめますが,一朝一夕で身になるものでもありません。
現状がだめならそれを受け入れて一段ずつ階段をのぼるしかないんですよね。
わからないことを素直に「どうか教えてください」と言えるようになりました。
今は遠い昔のことのように思います。
2016
深夜のジョナサンで毎日仕事上がりに勉強をするようになりました。
家だと寝てしまうからです。
今は遠い昔のことのように思います。
2017
深夜のジョナサンで毎日仕事上がりに勉強をしていました。
今は遠い昔のことのように思います。
2018
深夜のジョナサンで毎日仕事上がりに勉強をしていました。
ある時期からジョナサンに別れを告げて家で勉強をするようになりました。
今は遠い昔のことのように思います。
2019
毎日家で夜に勉強をしています。
最近未来を意識して見なくなりました。
数年後にこうなりたいという気持ちはあてにならないし
人の気持は移ろうものだということは40年の人生でよくわかりました。
世の中も大きく変わっていきます。
ましてや,他者が介在して複雑に世界が大きく変わろうとしているときに
自分がとる選択が正しいのかなんて証明のしようがありません。
人生が分岐する線路ならば,過去というのはその岐路で進む方向を選んだことの繰り返しでもあるんですよね。
それぞれの岐路に毎年大きな選択肢が 2 個あったとして,僕らは 2 の 40乗の選択をしてきました。
人生が80年として 2 の 80乗 の可能性があったところ, 40 年生きてきて残された可能性は 2 の 40 乗です。
これは,生まれたてのときの可能性と比較して 0.000000000001 倍です。
こうやって人は指数的に夢を見なくなっていきます。
でも,不惑はこれからの選択がより正しくなる時期なのかもしれないと考えると,とてもワクワクします。
だって,あと40年生きるとするなら
まだ 1000000000000 通りの可能性がまだのこされているのですから。
1980年1月26日生まれ
1980年1月26日生まれ
むかし株屋、いま土地屋。たまにテキスト屋。
・1980.1.26
新潟に生まれる。
昭和、歌謡曲の時代。
・〜2010
30歳、而立。
経歴は前回のホームページ参照。
・2015
公私の後片付けに一区切りつき、地元の青年会議所入会。
さまざまな人に会い、角が取れる。
・2018
試しに受けた麻雀のプロテストに合格。
リーグ戦の日程をきいて辞退。
・2019
結婚、令和元年5月1日入籍。
平成を未婚のうちに終える昭和生まれを、俗に平成ジャンプというらしい。
・2020
30代とさよならありがとう。
ジョブズも言っていたけれど、人は未来へ向けて線を引くことはできず、ただ過去を振り返って点を結ぶことしかできない。
他人のものさしで自分を測っているような時間はもうないと感じる。
自分の言葉は自分の経験からしか出てこない、そうして私はまだ身を立てていない。
いまは勉強努力、勉強、つねに頭は低く目の前のことをしっかりやる、ただそれだけ、ただそれだけだと思う。
1979年7月26日生まれ
1年目
真っ黒な泥の中でもがくような1年でした。
2年目
色んな泥が固まって身動きが取れなくなっていました。
3年目上旬
固まった泥が身からはがれ始め、自由に歩けるようになりました。
3年目中旬〜
突然違う沼にゴバッとハマりました。
10年目(今)
相変わらずそこの見えない沼の底へ沈んでいるけれど
気が付けばそこに適応してたようです。
泥沼でも綺麗に咲ける花があるんだってさ。
咲いてみせたいもんです。
自分じゃわからないですが、人からみたらつぼみくらい見えているといいよね。
男性向け女性向け一般向け問わず
やれることはやっていこうと思っておりますが
願わくば死ぬまで筆を動かしながら生きていたい。
そんな人生にしてゆきたいと思います。
自分が思った以上に、絵に支えられている事を思い知った10年でした。
きっとこれからも。